書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

自称国立本店の書生、油汗のブログ開設

初めまして。書生をしてます、のびと申します。とは言っても自称であります。国立本店なる場所で、よく火曜日に店番している者です。金がなく時間ばかりがありあまっているのです。

 

さて、ブログ開設してみましたが、何書けば良いのかサッパリです。あわあわして、終いには油汗が滲んでまいりました。

 

なので応募ボツ原稿を載せるという強行手段に出ることにしました。

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飴玉

 

もう随分まえ、或る落胆の午後に、狛犬風の獣はやって来た。住処がないと声高だ。私は嫌な事があったばかりだった。だから黙りこくっていたのだけれど、以来、獣は私の部屋にそのまま棲み着いてしまった。牙を出したりしまったり、案外呑気に振る舞うものだから、私はこの居候を追い払うことも出来ず、日々しげしげと、その成りと様子を見つめるばかりであった。

時折、吼えた。ガオウガオウでもなく、ロアーロアーでもない。耳に馴染まぬ吼え方だった。ビャウビャウか、ギョウギョウと言うのが近い。咆哮は、吹き荒れる風の音にとてもよく似ている。

私はちょっと、笑いかけてやる。するとこの獣はニヤリ微笑んで、前肢をぐっと伸ばしては、荒々しい息を、鼻から口から耳穴から、熱い蒸気と共に噴きこぼした。

獣が息を吐くと、飴玉飴玉、アチコチころころ、レモン塩、ハッカや金柑キャラメル転がった。わたしは慌ててそれらを掻き集めた、綺麗な硝子壜に閉じ込めると、それはしばらくのちには、もう香水だった。

わたしは宵になると、自分と、獣の耳朶に香水をひと塗りしてやった、そして甘美な飴玉の言葉をもってして、この美しい飴玉の世界を表現すべく、ずっとずっと書き散そうと誓ったものだ。世界に置き去りにされた飴玉を、いつか拾うために。飴玉香水の匂いを、死んだ胸に吹き付け生き返らせるために。

母はわたしのため、と言って、父の遺したお金をつかい放題、それはそれは豪奢な花嫁道具を積みあげたけれど、そんなのどこの誰が必要なのだろう。
わたしが真に要るのはこの飴玉と模様を編む器械、そのためには、獣と一緒がいい。ちっとも面白味のない金持ちのボンボンなんかと、凡凡暮らして一体何になる。嫁ぐべき先は嵐の空。

職業婦人になる運命のわたしを、母はボンボンとの凡凡な暮らしに押し込もうと躍起だ。どこで拾ったものか、次々縁談を持ち帰ってくる。そして凡凡生きて、つまらなく死ぬよう命令なんかもする。
母はお金が好きだ、父なし子の娘を凡凡のボンボンとくっつけるためなら、大根で人を殺すのも厭わないほど好きだ。
母には申し訳ないけれど、金に愛され、殺しの大根振りかざしてはボンボンに当たりまえに愛され当たりまえに夜交わって、当たりまえに股から産み落としたのです。と言う結末も要らないのだ、 飴玉捨てて金と大根と結末を手にしたところで、ちっとも甘かない。わたしは甘甘が好きだ。極端な甘甘が好きだ。極端な甘甘の飴玉が大好きだ。甘甘は、凡凡生きたら一生、味わえなくなってしまう。世の中ぜんぶが、コッソリそういう仕組みに出来上がっていることくらい、獣を知れば誰にだってわかるはずだ。

だから獣に跨った。
飴玉香水の匂いがぷんぷん充満していた。わたしはむせ返る。むせ返ったわたしの喉からも飴玉、それを落っこちないよう、そっと大切に握りしめた

狛犬風の獣がびゃうびゃう、ギョウギョウを叫んだ、真っ暗な雲が空を覆って、おどろおどろしい向こう側では、雷神が太鼓を奏でている。

わたしを乗せ、獣は空へと駆る、望んだ嵐の空へと駆る。宅の応接間では母とボンボン、いずれ近いうち、義母になったであろうはずの、蝦みたいにしつこそうな顔の老婆が歓談している。
窓枠の中に詰め込まれたこの人たちに、わたしは小さく手を振って、哀しいような、別れを告げた、飴玉を拾い飴玉を書き、世界中に飴玉の愛をばら撒くべく、ただただ振り落とされないよう、必死に、目を凝らし、おそらく一生収まることのない震えを堪え、これから、ずっとこれから、狛犬風の獣の背にしがみつかねばならない、過程の最中にあるのだった。

                                                       了