書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「廻田の雨降り」第2話

 湯を沸かし、寝惚け眼をゴシゴシ擦りながらコーヒーを淹れた。午前6時半の台所。偶然の早起きを、桔梗は大げさに喜んでいた。

 

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  小人族のためのような台所であった。キッチンテーブルを置くスペースは、どういうわけかある。

  桔梗は窮屈な棚から赤いネスカフェのマグカップを取り出し、熱いコーヒーを注ぎ、急に律儀な面持ちで啜った。

 

  実際、桔梗は律儀である。周囲からそうと思われていないだけで、実際は真面目なお人好しの26才、ついでに言うならもう10年の神経症を患っている。誰もそうと知らず桔梗に接し、桔梗は桔梗で、根っからの呑気者のように振る舞っているが、案外と重症者である。自立支援ナントカ受給者証なる証明書を持ち、病院通いを義務付けられ、おまけにあれやこれやの薬を処方される始末だ。ケロッと明るく笑ったりするものだから、このナントカ証の保持者とは到底思われることなく、ああ、あの楽天家の桔梗さん、おや、あの陽気な桔梗さん、あの人はきっと悩みなんてないですよ、などと、他人は勘違いしたままの言いたい放題ときている。

 

桔梗の鬱屈した自由の利かぬ日常なぞ、これらはまったく彼らの知らない所なのである。

 

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  ーおとといの夜から洗わず、シンクに溜めてしまった鍋と皿が、歪なバランスを保ったまま積み重ねられていた。それら洗い残しの食器類は、北向きの小窓から注ぐ不充分な陽光を背後に、不吉な塔さながらの印象を桔梗に与えていた。

 

桔梗は概して皿を洗うのが億劫だ。靴の紐を結ぶことにも気力がわかないのは困った。一度、結ばずにだらしなく外出した。他人の目、特に町内会のうるさいおかみさんらの目を恐れてその際はそそくさと結ぶよりなかった。

 

   コーヒーを飲み終えると、果たしてマグカップを洗うべき迷った。ただ洗う、ものの1分もかからぬこの作業が、やはり億劫に思えてしょうがない。悩んだものの、そのままシンクに置いた。結果、歪な食器の塔は1段増え、またも高くなり、またも歪さを増してそびえ立ってしまったのだった。

                                        (3話へつづく)