書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「廻田の雨降り」第4話

  しかしながら、思案して、いい考えが浮かぼうものの、これはこうだからああだからと逐一理由を連ねるせいでどうにも腹が決まらない。抑うつ神経症者の多分にもれず、桔梗は意欲に乏しく、趣味に乏しく、何より判断力、実行力に乏しい。つまりは優柔不断、日本一の優柔不断を豪語出来るほどの優柔不断なのである。

f:id:sowhatnobby164:20180727055908j:image

 

    そうしてただ一日の予定を考えに考え、迷いに迷うだけで何だか気持ちが疲れてしまった。偶然の早起きで貯まったように思えた時間は、気付けばいつしかとっくに消費されきっていた。神経疲労だけが時間の経過に消費されることなく、残り滓として桔梗の心にベッタリとこびりついて離れずにいる。

 

   こういう暮らしはもう当たり前の、ちっとも珍しくない日常と化していた。だから桔梗は、自らの損な精神生活には慣れっこであり、慣れっこであることで、病者にしては珍しく、生活に対し肯定的であった。周囲が言う生来の呑気者では決してないものの、自分が病人にしては非常に呑気で、呑気に病む自分をどういうわけか気に入ってもいた。

 

f:id:sowhatnobby164:20180727055953j:image

  アパートには南と西に窓がある。この二つの窓は台所の小窓と異なり、陰気臭さと無縁であった。充分な陽射しがあり、取り分け初夏のこの時季には良い風が吹く。また、南向きの窓からは活気さも飛び入って来る。桔梗の住まうオンボロ木造アパートは商店街に面しており、この二階の六畳間からは街の往来を見下ろすことが出来た。通り向かい、肉屋が常からの自信満々な様子で客引きし、その横で電柱に貼り紙する、町内会長の丸い背中などは印象深く、かと思えば十字路の先には不満顔の主婦連の姿も認めることが出来た。桔梗の目は色々を追い続ける。

  

  ー無遠慮な六畳間の視線に気付く人は無かった。誰もが皆、自らの関心ごと、それこそが人生最大の関心ごとであって、全くの無我夢中であり、オンボロアパート二階の観察者の存在に対し憤慨する暇などはこれっぽっちもないのである。

 

f:id:sowhatnobby164:20180727060506j:image

 

ある人はくしゃくしゃ笑い、ある人は蒼ざめた顔して歩き、時々に下手な口笛を吹く人が通り、やがて過ぎ去ってゆく。どの人にも向かう場所があり、約束事があり、少なからず予定がある。それを思うと、数日の手持ち無沙汰、行く当ても定まらず誰と会う予定もなく、ただただ考え事に耽る位しか能のない桔梗にとって、この元気な朝は疎外感に満ち、刺々しい朝でもあったのだ。

  オンボロアパートの一階には大家が住んでいるのだが、この大家と言うのが実に面倒な性根の持ち主だった。

                                     (5話につづく)