書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「廻田の雨降り」第5話

  ...七十過ぎの婆さんで、性根全体が度を過ぎるお節介、何かと口喧しく言ってくる。オンボロアパートにはもはや桔梗ともう二世帯の住人を残すのみ、あとは空部屋状態がずっとだ。半年に一度は新たな入居者もあったが、婆さんのお節介の猛襲に耐え切れず、またすぐに越してしまう。

   

    春子婆さんのお節介の猛襲は善意に基づく猛襲なのだが、それでも猛襲であるからには、誰であろうと逃げ出してしまう。当の本人にはてんで自覚が無く、むしろ婆さんは、最近の若い人は礼儀を知らない、恩を仇で返すばかりで感謝もしない。親の教育が悪いから図に乗ってばかりだよアンタ、などと桔梗をつかまえて、都合構わず延々と愚痴るのだ。

 

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  春子婆さんには晴比古という、国土地理院に勤める自慢の息子があったが、五年前まだ四十かそこらで卒中を起こし、アッサリ婆さんより先に逝ってしまった。長年連れ立った心優しい良人も、今は老人寮住まいで、もう自分の名前も思い出せないくらい呆けてしまったというのだから、もはや桔梗は、春子婆さんのお節介をどうこう言う気も湧かず、婆さんの口喧しさに目を瞑ること信条としていた。

 

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   結局、桔梗が行動らしい行動を起こしたのは正午をもう過ぎてからだった。戸外に出ると、陽射しがあちこちで乱反射し、鏡の世界かと思われるほどの眩しさが街全体に溢れかえっているのだから困惑してしまう。しかしこの困惑には躍動感があった。

 

   何することなく、どうも落ち込まずにいられぬ性格を嘆いて、ただずっとあの台所のテーブルでボヤボヤと考え事をするよりかずっといいのだ。無為な自問自答の繰り返しと比べた時、この今にも跳躍しそうな困惑は、桔梗の胸をわくわくときめかすのだった。

 

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   大袈裟なくらい晴れている。これはねえ、まさにアイスコーヒー日和ですよ。

 

 ...桔梗は今日初めての笑顔らしい笑顔をこぼした。

                                     (第6話につづく)