「廻田の雨降り」第7話
今日こそはあの本を読むのだ。
せっせとペダルを漕ぎながら、桔梗はしばらくご無沙汰の小説を思った。それはかれこれ二週間前に借りた本で、読もう読もうと念じ、しかしながら読む機会を設けられなかった本だった。
図書館で手に取った時の高揚は素晴らしかった。これを読むことで、自分は疲弊生活から足を洗うのだと意気込んだ程である。それを可能にしてくれる、夢の小説であるはずだった。
ーところがどうだ。抑うつの最中にあった桔梗はたったの十ページと読み進めることが出来なかった。紙面を日常の不安がチラついて邪魔する。読もうにも読めない。集中がまるきり出来ないのである。
そうとなるともう根くらべだった。桔梗は必死に文字を追った。追って追って、やがて疲弊しきって、結局この本は書庫に収まったまま、手に取るのが何だか億劫になってしまった。桔梗は疲弊生活に区切り打つことしくじり、それどころか鬱屈の頭はまたも疲弊するハメになってしまったのだった。
けれど、今日という日は別なのだ。
桔梗は髪を緑風になびかせ思うのである。
この完ぺきな五月晴れの下において、読書の邪魔するものなど全くあるはずがない。あるんだとしても、何せあたしは今ご機嫌るんるんなのだ。おかしな神経も作動しちゃない。思ったり叶ったりじゃあないか。こうときたらNo.33の窓際席で読むを決め込もう。ちょっと遠いがあそこは一等居心地がいいんだ。三千雄兄さんに顔見せしに行こうか。
No.33というのはカフェである。桔梗の従兄が始めた、こじんまりとしたカフェだ。従兄のガールフレンドもこれを手伝っている。二人は十七年を連れ添っており、言うなれば事実婚状態にあるのだが、お互いがお互いでたいへん大雑把、幾分変わり者同士である。
(第8話へつづく)