書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「廻田の雨降り」第10話

   喫煙席の二組の客もまた、桔梗と同じ量分の暇を持て余してか暢気に喫んでいる。

 

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    No.33では混雑の如何にかかわらず、誰もが悠々自適、ごろ寝でも出来そうであった。店主の三千雄をはじめ、ここには咎める者も無ければ急かす者もない。

  ようやく心が、あるべき元の位置に収まった気がした。

 

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  桔梗は席でゾラを読んだ。程よい陽光が届き、ページの所々に落ちる繊細な影は伏した睫毛のようでもあり、桔梗はこのコントラストを面白がった。天井に据えられた扇風機の音も全く良かった。年代物の扇風機が奏でる、カタカタカタの回転音はどこか懐かしい。桔梗は読書を続けながら、傍ら自身の幼い頃の夏を思い出したりしていた。

   

  三千雄は新メニューのことで頭がいっぱいだったらしく、コーヒーがいつ来るのか、そもそも桔梗の来店に気付いたかさえも怪しかったが、二十分ばかり経った頃、いつもの縦縞模様のエプロンを首から提げ、やや急ぎ目のヒョコヒョコ歩きでやって来た。

 

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  後ろ頭に手を当て詫びるが、三千雄は詫びることすら楽くてたまらない様子で、それがいかにも三千雄らしいのである。

  「いやあ、キキちゃん済まない。夏のメニューを考案中でね、いやあ何というか、難しいよ。何せアイデアがポンポン浮かぶんだ。どれに絞ったものか」

三千雄は桔梗が注文したフレンチローストをテーブルに置いた。アイスコーヒーはビールジョッキになみなみと入っている。

 

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  「ジョッキコーヒーというのも出そうかと思うのだ」

桔梗の目線に気付いて三千雄は言った。

   「わあ、いいねえ」

アイスコーヒーに飢えていた桔梗は、ジョッキグラスになみなみ湛えられた三千雄のコーヒーと、たっぷりの氷を喜んだ。気分は高揚し、もう小躍りだってしたいくらいだった。すると三千雄は気持ちを見抜いたようである。

 

                               (第11話へつづく)