「伝書鳩よ、夜へ」第3話
向かいのコーヒー店は思いがけず混雑していた。
戻ると藤枝が本の山の解体に未だ燃えており、今朝から続く彼の不機嫌はいささか度を過ぎている。
(一生不機嫌を決め込むのだろう。何とも気疲れだ)
今後を憂い、コーヒー片手、雨傘をたたむのも憂鬱に感じる有様だ。
出勤前のアリーがハーマンと談笑していた。コーヒーを待ち兼ねた彼は小部屋を出て待っているのである。
…遅かったね、転んだりしなかったかい?
気遣うような事を口にして、ラテを美味そうに啜った。彼は健康志向を標榜していたが、ただコーヒーのトッピングやらミルクの種類が何となくの健康志向なのであって、聞けば自宅の冷蔵庫にはホットソースとチェダーチーズしか入っていないという。
つまりは全くの仕事中毒、仕事と本への愛着が、食べ物への執着を削ぎ落とした結果であった。
しばらくの談笑ののち、再び小部屋へと消えていった。アリーは向かいのカフェへと出向いていった。
桔梗はレジ横の貯金箱へとおつかいの釣り銭をねじ込むと、昼飯の事を考え少し気を良くした。
人間、うまいモンの事を考えれば大抵幸せな気分になれるのだと考えていた。長く抑うつ神経症をやっていると、見逃していた単純明快な対処法に気付くこともあるのである。
タイ料理店のメニューを頭に描いた。香辛料たっぷりの汁類、ココナッツの風味のカレー、グアバジュース、一昨日食べた粥飯。これらを夢見るように思った時、居座り続けた憂鬱神経団はどこか消え、しばし留守となった。腹がグーと鳴る。
とそこへ、長身の藤枝が突如ヌッと姿を現した。
度肝を抜かれ、桔梗は危うく貯金箱を床に割るところであった。藤枝は筋肉の無い、老人のような体躯だが背丈はゆうに百九十センチを超える。まるで高木の葉をむしゃむしゃ食うキリンだと桔梗は思い、またも腹が鳴った。
藤枝は咳払いし、
「自分なりに考えたんですが」
突然、そう切り出した。
(第4話へつづく)