「伝書鳩よ、夜へ」第10話
...こうも成ったら、もう不審な恋の不審な茶封筒そのままを、帰り際ただ手渡すだけでも充分なんじゃないか。
それは、桔梗にとって救世主のような考えだった。これならば、気安い。達成可能だ。しかも取り敢えず渡すわけだから、一応の目的は果たす結果になる。明日、堂々出勤出来る。
万が一藤枝がネチネチ言ってこようと、どこ吹く風、自分は茶封筒を手放すのだ。嫌味自体が不当と、取り下げに出来る。優位に立てるのは、まず間違いなかった。
雨後のタケノコよろしく、この代替案はにょきにょき四方八方目覚しい勢いで伸び広がり、あっと言う間に心の内を占めてしまった。生真面目さの中にも生来のご都合主義、自己中心性を合わせ持つ彼女は、理想的ではあるが、同時に面倒でもある当初の目標を驚くほどアッサリ捨て去って、恋の成就云々、これにはもう知らぬ存ぜぬ、封筒をただ渡すだけ、代替案への軌道修正に決めたのだった。
二人の間では、「もしハーマンがストレートだったら」について話すのが最近の流行りだった。勝手な推論をして遊んでいるのだ。
お喋りは9時を過ぎても続いた。共に作るでっち上げ恋物語の楽しさから、戸惑いも不安も藤枝の手紙の存在も、又時間の経過すらも忘れて、今晩は饒舌だ。
しかし約束を控えたアリーはというと時間を気に留めていた。
もう行かなきゃ、と小さく言った。
「ーやっぱり、キキは窮屈じゃないわね」
右手に嵌めた指輪に視線を落とし、そんな事を言う。桔梗はふと静かになって友人を見つめた。
努めて朗らかに、彼女は桔梗に聞いた。
「ねえ、キキ。キキは何が欲しい?もし誰かに何でもくれるって言われたら」
質問は唐突だが、自分なりの律儀を重んじ彼女は考える。何でもくれるなどと言われれば薄気味悪いだけだが、欲しいものはと思い巡らせると、
「安心が欲しい」
と情け無い事を言った。
コーヒーを飲み干した。惨めな気分だった。
「じゃあその安心の為に、どういう物が要るかしら」
「パッとは思い付かないな。広い住まいやら美しいアラビア絨毯だのはあっても逆に不安になるよ。好きな小説、三千雄兄さんのコーヒー、赤いマグカップとか良い匂いの石鹸とか、毛布とかは要るよ。ココナッツ号があるおかげで大抵の場所には行けて、過ぎるくらいなんだ。洞窟住居にアレコレたくさんのモノは置けないし、ついでに言えばチョットでも目立つ事をすると、大家の春子婆さんがいち早く嗅ぎ付けて、容赦なく噛み付いてくるんだ」
アリーは声を上げて笑った。
「キキらしいわね、私は好きよ」
(第11話につづく)