書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「伝書鳩よ、夜へ」第12話

   勘定を払ってしまってから、そそくさと店を出た。

 

f:id:sowhatnobby164:20180812212236j:image

 

  ドアをくぐった瞬間、湿った梅雨の外気がモワッと全身に襲いかかって、思わず息詰まった。
   終日、小雨が降ったり止んだりの繰り返しだったが、宵時には上がっていた。      

   酷い湿気だ。辟易するも、見上げた夜空は、甘く澄んでいる。


  回復した天候に励まされた。

 桔梗は頷くと、かすか微笑んで、淡い翠色の車体が涼しい、相棒のココナッツ号にまたがった。

 

f:id:sowhatnobby164:20180812212222j:image

 

   不思議にまんざらでもない気分になっていた。そして降って湧いたまんざらでもない気分を、落とすまいと大事に大事に抱え、路地を漕ぎ出でたのだった。

 

  菊屋通りは、夜と言えども人通りが多い。昼間以上の通行人が溢れている。

   商店の殆んどは深夜近くまで店を開けていた。道なりに進むと、やがて早稲田通りにぶつかる。するとその辺は住宅街である。桔梗のオンボロアパートは通りを渡って、環状七号線沿いを野方方面へ向かった先の、中野区銅貨窪町、寂れた商店街の一角にあった。

 

  ココナッツ号で行けばせいぜい10分程度の距離である。

 

   ここいらの住民と言えば、昔からの土地持ちか、そうでなければ独り身の学生だのアルバイトだの、ホステスだの売れないミュージシャンだの役者の卵だの、芸術の志者や貧乏人ばかりの寄せ集めで、8割以上の住民が倹しい独り住まいを余儀なくされているのだ。

 

f:id:sowhatnobby164:20180812212301j:image

 

 家賃はどこまでもピンキリ、大小様々、そこらじゅうにアパートが林立し、老いも若きも、夢を追いかけ夢に生き、狭いアパートの窓から大きな空を見上げ暮らすのである。新宿からわずか15分の立地にもかかわらず、新銅貨窪には、未だそういう泥臭さが漂っているのだった。

 

(第13話へつづく)