「色眼鏡」第6話(全12話)
病と並行し、無類の単純さを兼ね備える桔梗である。
小腹を満たすべくチーズの試食をしたり、ホームメイドパイの試食に手を伸ばしたり、なんだかんだパクパク食べている。
実際、食べ物は充実していた。コーヒーにこだわる彼女だが目の前にはベーグル専門店、ドーナッツ屋、ホームメイドのジャム屋が並んだ。
特にジャム屋は繁盛の盛りを迎えていた。ラズベリー、ブルーベリー、レモンカート、マロンクリーム、これらをバケットにたっぷり塗って試食に出す。あちこちから腕がにょきりと伸びて、またにょきり、またにょきりと伸びてくる。
腕の本数はどんどん増えた。右肩越し、左から、背後から。頬のすぐ横をかすめるように。太い腕、筋張った腕、モヤシの白腕、日に焼け赤みがかった腕。斑点だらけの、褐色に染まる老いた腕。
数々の腕が、次から次、また次と伸びて来る。勢いの止まらぬ複数本の腕の登場に、神経削られ、圧迫されてしまった。するととうとう落ち着かなくなって、ガタガタ震え出した。
逃げだしたようなものだ。ジャム屋の前を去った。顔の赤面は自分でもそれとわかった。これこそ、桔梗にとっての恥、みっともない症状である。では、嫌悪を意志の力で止められたかというと、それも出来ない。身体は身体、別人格者だ。
ガタガタ震え続けなければならなかった。宿命である。
店舗列から離れ、ベンチに崩れた。
ーあと、どれ位のあいだ保てるだろう。
(第7話へつづく)