「色眼鏡」第11話(全13話)
乾いて老人は付け足した。
「娘が、いました。ごろつきの子供を孕んで、私と妻の元から、ごろつきの元へ転がり込んでしまった。その先について、我々は知りえない。一切の連絡が途絶え、もう15年になるのです。あれが、坂を転がり続けて、下の下まで転がり込んで、身持ちを崩していないか案じています。今となっては、あの子が健康で、無事であることだけが私の何よりの願いです」
今日の神経は疲れていた。頭も廻らず、埒があかない。
「...こうして広場を見るうち、私はあの子とごろつきと、間に生まれたであろう私の孫が、もしかしてここで遊んでいるのではないかと思うようになりました。故に私は、日々このベンチに通うのです。淡い夢を子供たちの笑顔に見るのです」
彼の声は潤い、もう乾いた声ではなくなっていた。
時計の鐘が鳴った。午後4時だ。
老人は足元の黄色じみた犬を軽く叩いた。目覚めた老犬の両眼に、目ヤニがビチビチこびり付いて、この犬はまたも特大の欠伸をして、ぐっと伸びた。
「さ、私は帰ります。明日、講義があるのでね」
「どこかで教えてらっしゃるんですか」
「Y大学で教鞭をとっておりました。今はもうこんな年寄りですから、非常勤で壇上に上がっているのです」
老教授は杖を片手にベンチを立った。
「娘さん。あなたはなかなか、良い眼鏡を掛けているようだ。ーありがとう、楽しいひとときでした。では、いつかまた」
そう言って、悪くした足をゆっくりと運びながら、去って行った。
教授の帰る頃には、広場で遊ぶ子どもたちも、ちらほら帰り始めていた。
アイスクリーム屋はと言うと、まだまだ売りさばこうとしていたが、客寄せの声を上げても、夕飯の時刻を前に、母親達が子どもに買わせようとはしなかった。もう緩慢になって、パチパチ手を鳴らしている。
ぐうと腹が鳴った。
そう言えば、昼もろくに食べずにいたのだった。あれこれ試食をしたと言っても、まともに胃に収めたのは三千雄のジョッキコーヒー位だ。
桔梗はアイスクリームでも食べて小腹を満たすことにした。
「...それで、お客さん結局何味にするんですか」
男の声には、苛立ちが混じっていた。
優柔不断が、五分以上も迷わせている、
「ああ、そうですね...ええと....じゃあ…ピーナッツ味。ピーナッツ味にします」
このアイスクリーム屋は、例のジェラート屋と勝手が違った。
(第12話へつづく)