書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「あなたは最高」第1話( 全20話)

   柑橘類と、挽きたてコーヒーの香。二つは互い手を取り合うようにして小部屋の空間をゆったりと充たしていった。次第次第、鼻腔へと入り来む。気管支を通過し、やがて肺をレモンイエローでいっぱいにした。桔梗はにんまり目を閉じた。深深と息を吸った。

 

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  ジャズラジオが軽快に踊る。小部屋の主人はというと、冗談ぽくドラムの変拍子に合わせ、サラサ、サラサとペンを走らせる。

  「少し急ぎでね。千葉県S市、ちょっと遠いけれど、きっと行ってくれるね?」
   ハーマンは住所と電話番号が書かれたメモを、キムに素早く手渡した。

 

  Books Yumejiでは、東京近郊の個人書店から注文を受けることが、月に数度ある。

   話の合う人間であれば、ハーマンは殆どを受けた。彼は音楽の趣味が悪い女と多汗症の男が嫌いである。過剰なストレス反応を示し、そんな時は上機嫌の向こう側でションボリ顔を見せた。肩を落とし静々コーヒを啜ったりするものだから、どうも切ない。誰しも、ハーマンの味方になること志願してしまうのである。桔梗も、例外ではない。

 

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   大学が夏休みに入り、暇になった藤枝が目一杯に働けることもあって、7月後半くらいから4人のアルバイトが一同に会する機会が増えた。
    夏は観光客も多く来店する。忙しいといえば忙しい。が、忙殺、と呼べるほどの忙しさではなかった。休暇という時期柄、比較的値が張る希少本とマニアックな人文学がよく売れる。
   
   結果して、ハーマンの道楽稼業に過ぎぬ夢二は、道楽稼業と呼ぶには相応しくない儲けを、幸運にも毎年はじき出した。

 

   その日は、藤枝と桔梗が早番、中番がキム、遅番にアリーの順で出勤だった。

 

(第2話へつづく)