「あなたは最高」第18話(全20話)
粗末な義眼だった。ピンポン球にマジックペンで黒目を描いただけのような簡易式、おまけ手垢で黄色く汚れている。
「薄気味悪いでしょうか。まあ、いい。誰だって、最初はそういう表情を見せるものですな。客はあたしを怖がってるんだ」
何と言えばいいのかわからず、ただ突っ立っていた。老人はまた1枚ビスケットを出して、先ほど同様、紅茶に浸し咀嚼した。
「お嬢さん方。捨て去られた脚と目を、いまだ私が惜しがっているとでも思いますかね」
店主がビスケットを飲み込むと、皺だらけの喉がぐいと扇動し、胃袋へと落下した。
「どうでしょう…」
2人は返答に困った。顔を見合わせる。本の話題が無いことに違和感を感じる。だが店主はまるで意に介さぬようだった。耳に届かないと言わんばかり、次々言葉を紡いだ。
「まあ、わからんでしょうな。あたしの話なんぞ、誰も聞きやしないのさ。気味が悪い爺と、口を利いたら厄介事に巻き込まれるとでも思ってるんだろうよ。…あたしゃね、家内を亡くして、もう独り身なんだが、独りになってなおのこと、独りなのさ。もう、店の奴らもあたしを見なかったことにしようとしてるのさ。あたしの脚も、眼も、何もかも。ここは狭い田舎街だからね、一部の人間に捨て去られたら最後、噂やらで全部に捨て去られてしまうのさ。あたしの視線は、もうとっくのとうに一方通行なのさ。もう、何年も一方通行の繰り返しでね」
妙に深刻な声音を響かせるものだから、無意識に2人は耳を傾けた。
老人は、眼窩に浮かぶ自らの右眼、安っぽいピンポン球の義眼を、今度はコツコツ指で弾いてみせ、さらに言うのである。
「いいかい、私はね、右眼を失ったおかげで、この左眼には、かつては決して見ることが出来なかった様々が見えるんだ。綺麗なもの、薄汚いもの、それこそ何もかも、驚くほど鮮明な輪郭をもって映るようになったんだ」
キムと桔梗を交互に見遣った。
「…繰り返すけれどね、ここには誰も来やしない。もう丸5年、こうしてカウンターに座って、外を見つめているけれど、誰1人来ないのさ。あたしゃね、ただ、話し相手が欲しかったというわけさ。ひたすら見続けていたんだ。残された、この左眼でね」
(第19話へつづく)