「あなたは最高」第21話(全22話)
引き摺られるままに歩んだ桔梗だったが、圧倒的な丘の濃緑に、感じ入った。2人は不安だった。
桔梗はキムが自分と同じように不安であることを、感じ取っていた。ー苦手だったあのキムはどこにもいなかった。ここに歩くキムは、友達だった。
舌打ちして、苛々と片手を振り回し、蚊を追い払おうとしていた。複数の蚊が集団となって、飽くこともなくつきまとうのだー。全く離れようとしない。桔梗も、自らのふくらはぎに三箇所、二の腕に二箇所の小さな赤い腫れが既にあることを認めた。こうなるともう、蚊の好きに吸わせてやるしかなかった。やがてキムも、払う手を下ろした。そして吸われるがまま歩くこと数分、突然立ち止まった。
「ちょっと、見てよ。あれ」
キムは前方に見え始めた、赤く燃えるような明かるみを指差した。
「ーねえ、火事じゃないかしら? 街のどこかで火事でもあったのよ」
2人は大急ぎで残りの坂を駆け上がった。
丘の頂へと立った。
それは、火事では無かった。街が燃えているのではなく、空が燃えていたのである。
赤く、どこまでも赤く、それは2人の眼前に広がった。丘からは、果てしなく広がる夕空と、その下で忙しそうな街が、一望出来た。
大きく開けた空、谷間の地形に編み込まれたこの街、それらを、まるで玉座に乗るかのように、2人は無言のまま、まるごと俯瞰した。街を飲み込もうとする夕陽、背後の森もまた、照らし出され異様に赤い。油蝉達が合図したように歌い始めた。西の強烈な光が、すべてを明るみにして、陽光はキムと桔梗の心の暗がりですら照らし、染め上げた。
「ーずいぶんな夕焼け空じゃない」
何分も経った頃、キムが短く言った。さっきからずっと、言葉を探して、この状況を形容しようと試みていた。けれどうまくいかなかった。桔梗はただ、黙って頷き同意するしか出来ぬままに、じっと茜空を目に焼き付けること精一杯だった。キムも、それきり何も言わなかった。2人は肩を並べたまま、失語したままに、同じ方角を、同じ眼をして見た。頬を茜色に染め上げて。
呼び出し音が鳴った時、それでもキムは顔を蒼くして、バネ人形のようにカバンの携帯を探らずにはいられなかった。携帯は鳴り響き、呼び出し続けていた。まるで、元いた場所へ帰る指令でも下すかのように、高圧的で、絶対的な権力を振りかざしている。ー発信者名が出ていた。キムを傷つけ、不自由にした例の恋人が、キムの首根っこを掴み、ここから引きづり降ろそうとしている。
(最終話へつづく)