書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「マラカス奏」第5話(全15話)

   N社のKという人物より連絡があったのは、つい一昨日の夜である。

 

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  金は出せないが、良いものであれば載せる、と言った。急だが、次週までに仕上げるよう告げて、先方はというと一方的に電話を切った。

 

  作家への足掛かりとなる機会を得たとあっては、俄然、張り切る。先月、財産はたいて購入した中古パソコンを、カバンに詰め常時背負いこんでいる。駅構内、図書館、街路樹の下のベンチ、腰掛ける度ごと、パソコンは開かれた。

 

 

  街じゅうが書斎である。締め切りは、間近だ。

 

  何某の末裔のお屋敷を囲む、白塗りの壁をしばらく右手に進む。竹林を抜け、再び視界が開けた所に、友人のマークと蓉子、彼ら夫婦の営むカフェ・モーブは、チョコンと愛らしく座していた。

 

  古書店・宵空堂は、この日臨時休業していた。シャッターが下りていた。そこでモーブという流れになった。ドアを押し開けると、火曜日と同じザ・スミスが流れている。小柄で鳩胸の蓉子が、早速気付いて、茜を迎え入れた。

 

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  名門女子大学を卒業、薬剤師の免許を持っている。

  蓉子は育ちの良さから、品良く振る舞ったが、箱入り娘特有の、信じやすさが災いし、時折素っ頓狂な行動に出ることで有名だった。或る夏など、パナマ運河を見に行くといって、単身、中南米へと一ヶ月もの間渡航し、旅行最終日はジャマイカのスラム街をただの身一つ、無防備に歩き回ったというのだから、素っ頓狂であることに間違い無かった。

 

   危険や悪人というものが、おおよそ世の中には存在しえないという腹で、呆れるほどの性善説信奉者であった。

 

 

(第6話へつづく)