「マラカス奏」第9話(全15話)
三十分位して、菊比呂は戻った。
マフラーを巻かない首は、なおのこと蒼く乾燥して、粉を吹いている。ポケットに両手を突っ込み視線はキョロキョロ、もはや不審者の体である。マイアの件でグダグダ言い始めた。
「終わったことでしょ。何もかも、過去だ。死んでしまった過去だ」
珍しく語気強く茜が言った。菊比呂は一瞬口をつぐみ、すると夜風が、両者の胸間に自然吹き入った。
「菊ちゃんだけじゃないよ。みんな、たった一人だよ。お兄ちゃんは、私達が丼ご飯に舌鼓打ってたあの時分、血管ちぎれて、路上倒れたじゃないか。見知らぬ野次馬に囲まれて心臓マッサージを受けたんだ、まるで命が見世物だ。で、逝ったんだ。誰にも何も言えず、苦しいもサヨナラも言えず、急に、一人で逝ったんだ。お兄ちゃんの気持ちにもなってみなよ、菊ちゃんは死んでないから、一人でも一人ぼっちではないよ」
心細かった。
「隆兄のことは、確かに、可哀相だったよ。お前は、よく頑張ってるな。悪かったよ」
反省の色を浮かべて、今度は菊比呂が茜の横顔を盗み見た。
「だから、パチパチ打って、書いているのか」
「そう」
「俺も毎日じゅうじゅう、マークのところで、肉を焼きまくってるぜ」
従兄妹は、隆を、過去に置いてきぼりには出来なかった。彼らはパチパチやらじゅうじゅうの方法で、生きた足跡を残し、息吹をつなぎ止めようと試みた。肉料理が大好物の兄・隆志は、従弟の菊比呂が作る生姜焼きを、いつも、うまい、うまいと、喜んで食べ、嬉しそうに笑っていた。
人身事故だとかで、中央線は運転を見合わせていた。
(第10話へつづく)