書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「マラカス奏」第12話(全15話)

  彼の災難は続いた。茜の淹れたコーヒーはろくな代物ではなかった。

 

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  あまりに不味いので、どうしても全部飲み干す気になれずにいるところへ、夕食に、とグラノーラなんぞを勧めて来たので、彼は絶望したように、「過酷な人生、罰ゲーム」だの、「俺のカルマ…」だの、「俺は想像妊娠で生まれた子」、「不幸の星の王子さま」「赤髪の王子はグラノーラをお召し上がり」「赤い髪の王子さまにも、とうとう赤紙が…」など、ボソボソ言い続け、けれど腹を空かせていたので、渋々グラノーラをすくって食べるよりないのだった。 

 

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  不安症のくせして変に都合良く楽観的なことが多い。菊比呂がうまそうに夜のグラノーラを食べていると思い込んで、満足だった。 

  すると機嫌の良さがいつもに増して茜の食欲を増進させた。もっうちょっと食いたい気になった。ザバザバ皿に落として、豆乳をドブン、カリカリせっかちに咀嚼し、同じことを二度、繰り返した。  


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  こういった従妹の衝動性は、例え見知っていても菊比呂にはなかなか慣れ難いものだった。生真面目だが、欲望に非常に忠実、無害の変人。彼は茜をそう定義し、定義しては消沈してため息が出る。  
 


  今、彼の心に浮かぶのはただ、敗れた恋の相手・マイアの笑顔だった。マイアは茜のアルバイト先の英語学校に勤める、向日葵のような笑顔が愛くるしい女性で、確か二十四か五だった。


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  菊比呂の一目惚れから始まり、嫌がる茜をどうにか説得して、大枚はたいて購入した、真っ赤なバラの花束を彼女の前に差し出した、あの瞬間―。あふれんばかりの愛を告白するあの瞬間まで、菊比呂は夢の世界に生きていた。生きとし生けるもの、すべてが美の宿命を持ち、まばゆいばかりに輝ける、夢の世界に。

 

 (…ところが、夢から醒めた俺ときたら、茜のオンボロ平屋で不味いコーヒーと不味いグラノーラなんかを渋々食らって、つまり、不幸の赤星の王子さまは、姫を失くし悲嘆にくれているのだ) 

 

   菊比呂はまたも自己陶酔と、空想夢想に取り掛かっていた。彼は不味いコーヒーを啜り、オエとなった。 

 


(第13話へつづく)