書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

宇宙の理(全6話)

第1話

 

 

 確かに博士は、高円寺文庫センターの前に座している。菊比呂の言っていた通りだ。

 

 時計を見遣る。深夜十一時半を過ぎていた。文庫センターは大抵零時まで開けいている。馴染みのアルバイトに頼めば、更に三十分延びる。

 

f:id:sowhatnobby164:20200301222806j:image

 

 どれくらい、歩いたろう。しこたま珈琲を飲んだことに、嘘偽りは無い。新高円寺駅を下車して、コーヒーアンプ、七つ森、四丁目カフェ、ドッグベリーと梯子し、酒を呑めない小夜子の胃袋は、只々、流れ込んだ大量の珈琲に、不相応な笑い声で、チャップ、チャプと揺れている。

 

 

 なぜ博士かと言えば、彼が博士的服装に身を包んでいるからである。それ以外の根拠は無い。手垢に汚れた渦巻メガネが、ほつれてしまった白衣とネクタイを強め、座布団代わりの新聞紙は、どこか懐かしい正露丸の匂いを、ゆったりと漂わせている。

 

 「夢追イ人よ」

 立ち止まっていると、博士は突然上半身を前後に揺らし、落ち着きが無い。

 「夢追イ人よ」

と繰り返す。

 小夜子は目をパチパチさせた。

 「―あたしのこと?」

しかし相手は寡黙に前後するだけである。小夜子はよくわからないままに、

 「まあ、そんな感じに生きている類だけど…」

語尾を濁らせた。

 老人の出方を伺っていると、彼はちょんちょん、と指で立て札を差した。どうやら目は見えるらしい。

 

f:id:sowhatnobby164:20200301222617j:image

 

 「夢追イ人よ。余は博士である。故に宇宙の理を識ってイる」

小夜子は訝り半分、けれど妙な人間と話すのは、嫌いでない。

 「花も、書もやってイる」

そう続けて、また立て札をチョチョと指す。

 「へえ、じゃあ、いつか、その宇宙の理だとかを教えてよ」

 

 老人の示す値に倣い、小夜子は十円一枚取り出して、老人の空き缶へ落とし入れた。すると相手は実にそそくさと金をしまい込んだ。花を差し出し、黙礼した。...

 

 

 「アンタ、落ちたんでしょう」 

成部は、ワイシャツの襟汚れに洗剤を塗り付けているところだった。

 

                             つづく