書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

出る杭は、もっと出るんだ!

 突然ですが、学生時分に、おっかないほどの挫折に合った小生であります。

 

 順風満帆、もう取ることはないであろう首席成績を叩き出していた小生、内心浮かれまくってガンスカ進軍してたわけです。

 

 そこへ、あり得ない挫折が訪れたんです。詳しくは書きませんが、小生、これを起点に人生が傾き、私立高等学校を自ら中途で去りました。

 

 すると、周囲の大人たちはしたり顔で言うのでした。---出る杭はね、打たれるのよ---。

 小生、あの時大人たちが投げかけた言葉を、これから一生、絶対信じないと心に誓いました。

 その気持ちは、今も変わらないです。

 

 ビックリしたのは、ずっと大人になってからも、この出る杭は〜フレーズを信用している人達がたくさんいる、という事です。

 

 確かに、打たれるかもしれない。自分が優れているかは微妙なのでさて置き、

人と同じじゃない人物を、定規を手に、とにかくやたら見張っている人が潜んでいて、あなたを彼らの定規で測り、サイズが違うと、また言い出すんです。出る杭はナンチャラ、と。

 

  大人だから夢をみちゃいけない、30越えるまでに結婚しなきゃいけない、子供は二人か三人、マイホームを買わなきゃならない、ナンチャラ、ナンチャラ。

 

  定規を振りかざす人は勝手なサイズにあなたを押し込もうとする。あれこれ強制して、おかげ窒息しかけている若い人がどれだけいることか。

 

 人生は、自分のために生きるのが人生だと、小生は思うのです。

 定規なんて無視して、夢を追って生きてみたって、いいじゃないか。人様に迷惑をかけたり不幸にするのは推奨しません。ただ、自分の人生は自分しか生きる人がいないです。

 

 出る杭は打たれる、とか言われたら、打たれた杭のあなた、もっと出ましょう!

 小生もそのつもりで今後生きて生きたい。打たれても打たれても、しつこく出っ張り続けましょう。出る杭は、もっと出るんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄仮面とサングラス、マスクの用途について

本日、小生国立本店でお店番でした。暇を持て余し、ぼうっと通りを過ぎて行く方々を観察していたところ、見かけてしまったのです!

 

そうです、夏の風物詩・鉄仮面の姿であります!

 

皆さんも見たことおありでしょう。日焼け防止目的に、黒のサンバイザーを低く被るミセス達...お顔も見えぬ、鉄仮面の民であります。

夏になると種々様々な日焼け対策ございますね。鉄仮面、サングラス、長袖シャツと見まがうアームカバー...

 

小生、あの多様な日焼け防止グッズに興味があります。

 

冬場、花粉飛び交う春先などに、マスクが活躍しますね。そして、マスクの民の一派閥には「顔を隠す」ためマスクを装着する派閥があり、これは周知の事実であります。

 

鉄仮面、サングラスの装着でも、表情は隠すこと可能であり、なんやらその意味に於いて、マスクと類似した用途があるのです。

 

なぜ、マスクなのか。なぜ、鉄仮面なのか。なぜ表情が他人から見えないことで安堵を得るのか。

 

安倍公房の小説「箱男」の主人公は言っていました。

「見られても、見返せば見る側になれる」

 

見られる、見られたくない不安感がために鉄仮面、サングラス、マスクを装着する人は、単純に裸眼で見返せばいいのだと思うのです。

 

もし、視線恐怖があるなら、速攻見つめ返しましょう。

何だか、勇敢でカッコいいじゃないですか。視線恐怖ひどくなると、最終形態は箱男です。

箱男生活は大変そうです。

そして飾らずあけっぴろげは、気分が良さそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漠とした不安は、いけません!

太宰さんも芥川さんも、恐らくは川端さんも手を焼いた、「ぼんやりとした不安」。お三方、自死を遂げてます。小生、戦前戦中、戦後にかけて活躍した文豪を崇拝しております。

 

とはいえ、みんな自ら死んじゃいました。漠然とした不安感が大きく一因担ったようです。

 

小生、死ぬのと病気になるのが嫌いなので、漠とした不安を打ち消す対抗馬について考えました。

実はちょっとまえ興味深い着想を得ましたので、自分のためにも書き記しとこうと思うのです。

 

<書生のび的漠とした不安の対処法>

 

「漠然とした不安には、具体的な不安を作って対抗せよ!」

 

バカにしやがって、とか癇癪起こされませんよう。これでも不安歴に関しては小生、30年のベテラン選手であります。

 

うすらぼんやりねずみ色、

あの漠然不安きたら、すかさず具体的不安つくりましょう!

 

⭐️例えば満員電車内。

「やばい、、、腹が痛くなってきた。トイレ間に合わなかったらおなごとして人前に出られなくなる」

⭐️続いて駅トイレ待ち

「やばい、、、女子高生の集団、、、間に合わなかったら恥辱の負のスパイラルだ、、、いじめられる!」

 

上記は例えですが、具体的不安にすかさずスリ替え、少し挙動不審になってみるといいですよ。

なぜかはわかりませんが、漠然不安が心を退出します。

しかもお気づきのように、具体的不安はバカらしければバカらしいほどいんですよ。

副次的に、自虐ネタとして昇華できるのです。

 

とにかく、漠とした不安はいけません!

低脳感満載の具体的不安弾で、ぼんやりとした不安を掃討しましょう!

 

さて、小生疲れました。寝ます。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

自称国立本店の書生、油汗のブログ開設

初めまして。書生をしてます、のびと申します。とは言っても自称であります。国立本店なる場所で、よく火曜日に店番している者です。金がなく時間ばかりがありあまっているのです。

 

さて、ブログ開設してみましたが、何書けば良いのかサッパリです。あわあわして、終いには油汗が滲んでまいりました。

 

なので応募ボツ原稿を載せるという強行手段に出ることにしました。

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飴玉

 

もう随分まえ、或る落胆の午後に、狛犬風の獣はやって来た。住処がないと声高だ。私は嫌な事があったばかりだった。だから黙りこくっていたのだけれど、以来、獣は私の部屋にそのまま棲み着いてしまった。牙を出したりしまったり、案外呑気に振る舞うものだから、私はこの居候を追い払うことも出来ず、日々しげしげと、その成りと様子を見つめるばかりであった。

時折、吼えた。ガオウガオウでもなく、ロアーロアーでもない。耳に馴染まぬ吼え方だった。ビャウビャウか、ギョウギョウと言うのが近い。咆哮は、吹き荒れる風の音にとてもよく似ている。

私はちょっと、笑いかけてやる。するとこの獣はニヤリ微笑んで、前肢をぐっと伸ばしては、荒々しい息を、鼻から口から耳穴から、熱い蒸気と共に噴きこぼした。

獣が息を吐くと、飴玉飴玉、アチコチころころ、レモン塩、ハッカや金柑キャラメル転がった。わたしは慌ててそれらを掻き集めた、綺麗な硝子壜に閉じ込めると、それはしばらくのちには、もう香水だった。

わたしは宵になると、自分と、獣の耳朶に香水をひと塗りしてやった、そして甘美な飴玉の言葉をもってして、この美しい飴玉の世界を表現すべく、ずっとずっと書き散そうと誓ったものだ。世界に置き去りにされた飴玉を、いつか拾うために。飴玉香水の匂いを、死んだ胸に吹き付け生き返らせるために。

母はわたしのため、と言って、父の遺したお金をつかい放題、それはそれは豪奢な花嫁道具を積みあげたけれど、そんなのどこの誰が必要なのだろう。
わたしが真に要るのはこの飴玉と模様を編む器械、そのためには、獣と一緒がいい。ちっとも面白味のない金持ちのボンボンなんかと、凡凡暮らして一体何になる。嫁ぐべき先は嵐の空。

職業婦人になる運命のわたしを、母はボンボンとの凡凡な暮らしに押し込もうと躍起だ。どこで拾ったものか、次々縁談を持ち帰ってくる。そして凡凡生きて、つまらなく死ぬよう命令なんかもする。
母はお金が好きだ、父なし子の娘を凡凡のボンボンとくっつけるためなら、大根で人を殺すのも厭わないほど好きだ。
母には申し訳ないけれど、金に愛され、殺しの大根振りかざしてはボンボンに当たりまえに愛され当たりまえに夜交わって、当たりまえに股から産み落としたのです。と言う結末も要らないのだ、 飴玉捨てて金と大根と結末を手にしたところで、ちっとも甘かない。わたしは甘甘が好きだ。極端な甘甘が好きだ。極端な甘甘の飴玉が大好きだ。甘甘は、凡凡生きたら一生、味わえなくなってしまう。世の中ぜんぶが、コッソリそういう仕組みに出来上がっていることくらい、獣を知れば誰にだってわかるはずだ。

だから獣に跨った。
飴玉香水の匂いがぷんぷん充満していた。わたしはむせ返る。むせ返ったわたしの喉からも飴玉、それを落っこちないよう、そっと大切に握りしめた

狛犬風の獣がびゃうびゃう、ギョウギョウを叫んだ、真っ暗な雲が空を覆って、おどろおどろしい向こう側では、雷神が太鼓を奏でている。

わたしを乗せ、獣は空へと駆る、望んだ嵐の空へと駆る。宅の応接間では母とボンボン、いずれ近いうち、義母になったであろうはずの、蝦みたいにしつこそうな顔の老婆が歓談している。
窓枠の中に詰め込まれたこの人たちに、わたしは小さく手を振って、哀しいような、別れを告げた、飴玉を拾い飴玉を書き、世界中に飴玉の愛をばら撒くべく、ただただ振り落とされないよう、必死に、目を凝らし、おそらく一生収まることのない震えを堪え、これから、ずっとこれから、狛犬風の獣の背にしがみつかねばならない、過程の最中にあるのだった。

                                                       了