書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「マラカス奏」第15話(全20話)

  茜はテーブルの上のジャム瓶二つを自分に、もう二つを菊比呂の前に差し出すと、やおらインターネットラジオを点けたのだった。

 

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すると、かつて菊比呂が熱病に罹ったように聴いていた、七十年代ロックが、オンボロ小屋には似つかないクールさで流れ出した。

   

  茜は手本を示すつもりか、ジャム瓶を振ってみせた。中身のBB弾が上下し、シャカシャカ、マラカスの要領だ。そしてそれを菊比呂にもやるよう、促した。どうやら、これが彼女の言う元気法らしい。

 

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   菊比呂は、お人よしで衝動的で変人気質の従妹を相手に、もうまな板の上の鯉である。

 

(ええい、ここはひとつ、やろうじゃないかよ。馬鹿丸出しにでもしてやるさ)

 

  彼は観念した。―ああ、毒を食らわば皿まで。

やがて何かが吹っ切れた。立ち尽くすのを止め、金品奪うようにBB弾マラカスを素早く手にしたかと思うと、もう、ヤケッパチのヤケッパチ、シャカシャカシャッシャ、シャシャカシャカ、力いっぱい瓶を振ったのだった。

 

  菊比呂は振りに振り続けた。振って、振って、振り落としたかった。彼は情熱のマラカス奏者、シャカシャカシャッシャッシャ。― マイアのこと、モーブのこと、面倒な茜のこと。シャッシャカシャ。―金のこと。火曜日、マークに借りて、それっきりの三千円。シャカシャカシャッシャ。亡くなった隆志兄、可哀相な隆志兄、葬式は氷雨。一寸前まで生姜焼きを食って喜んでいたくせに。では俺の未来は。マイア、マイアさんは去った、マイアさん......

 

(第16話へ続く)

「マラカス奏」第14話(全20話)

   

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  彼の眼前には、瓶詰めが四つ並んでいた。その向こう側で、茜が温厚な笑顔を浮かべて待っている。

「何だよ、これ」

瓶には何やら、小豆を小さくしたような、球体色とりどり、まんまる玉がギッシリと詰めてある。―ラムネだろうか。いや、駄菓子の類か。

「もう俺は食い物はいやだからな」

「菊ちゃん、私、いいこと思いついたんだよ」

茜は彼の言葉を完全に無視して、機嫌良さげにそんなことを言う。

「元気になれる方法、見つけたよ」

菊比呂は目の前に隊列組む、ジャムの空き瓶を一つずつ手に取り、しげしげ見つめた。

 

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中身の小粒玉は、どうやら恐れていた食料では無さそうである。茜がティッシュを差し出すと、彼は鼻汁をかみ、一寸落ち着き具合になった。

「…これは、なんだ?」

ひとしきり泣いた後の声には、変なビブラート音が混じって、彼は自嘲気味に笑うのだった。

茜は、お構いなく説明を続けた。

「―これね、BB弾っていうおもちゃの、弾玉。子供の時分、射撃ごっこみたいのが流行ったでしょう。わたしと、大親友だったむっちゃんは、みんなが弾を撃ちまくったあと、夕方頃から道路に出向いて回収したんだ。綺麗でしょう」

 

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茜は立ち上がり、自分用にまたコーヒーを沸かし始めた。節約大前提、薬缶はストーブの上に置いて、ガス代を切り詰める習慣らしい。

 

  泣き疲れた菊比呂は、一寸ぼんやりだ。然し、ぼんやりしようとしまいと、鬱屈は、確実に巣食っている。主観の世界における彼はどん底なのだ。

「…是非とも教えてくれよ。何だってやるさ」

半ばヤケッパチ、茜の勧める元気法は何か、全く想像がつかないものの、少しでも元気になれるんだったら、それで良かった。

 

(第15話へ続く)

「マラカス奏」第13話(全15話)

  茜が、おかわりを注ごうとしていた。 

「いらない。もう、本当にいらない」 

彼は慌てて従妹を制した。茜には意外だったらしい。 


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「菊ちゃん、遠慮はいらないよ。寒いんでしょう」 

「ちっとも寒くなんかない、いらない。絶対にいらない」 

菊比呂はカップを手で塞ぎ、断固阻止した。そして、また、マイアを思った。失恋者の彼は、急激な悲しみに打たれ、気づけば涙目涙声、従妹に向かってつぶやくのだった。 

「…お前の神経は不安のアレで駄目なんだろうけど、ひとつ教えてくれよ。俺は、俺は、一体どうやったら幸せになれるんだ。マイアさんが愛の告白にそっぽを向いた瞬間、バラの花も俺の自尊心も幸福も、ぜんぶ散りつくしてしまったじゃないか。俺はね、もう本当に、再起不能なんだ。神経病みの茜に、こんなこと聞くのは、とんだお門違いって、そりゃあ分かってるよ。だけどこんな不安を、憂鬱を、どうしたらいいんだ。俺の心は今晩と同じ、真っ暗な冬至だよ。つらいよ、俺はきっと病気になるだろうよ」そこまで言うと、菊比呂はむせび泣いた。 


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(―情けない、情けない。俺は王子のはずだろう?王子が従妹の前なんかで泣くのかよ。王子失格、人間失格。生まれて来て、スミマセン。ああ姫は、俺の愛を捨てたんだ。俺はハナッから見捨てられていたというわけだ…) 

 べそべそ泣いて、そんな菊比呂を見守るのは、自分の好き勝手にしたい茜にとって大変面倒なことであった。が、確かに彼の敗れ方は派手派手しかった。真っ赤なバラの花束を、キザな文言で捧げる菊比呂を、マイアはこともあろうに、誰と知らなかったのである。こう振り返ってみると、それなりに胸は締め付けられ、痛んだ。 

 
  同情するよりなかった。菊比呂の食べ残した、ブヨブヨにふやけたグラノーラと、呑み残しのコーヒーカップをソロソロと静かに下げて、思案顔、ただただ洗って、食器棚に片付けた。 

 

 

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ドン、という音、キッチンテーブルに何かが置かれたようだった。うつ伏せにしていた菊比呂は、涙に濡れた顔をのろのろと上げた。

 

(第14話へつづく)

「マラカス奏」第12話(全15話)

  彼の災難は続いた。茜の淹れたコーヒーはろくな代物ではなかった。

 

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  あまりに不味いので、どうしても全部飲み干す気になれずにいるところへ、夕食に、とグラノーラなんぞを勧めて来たので、彼は絶望したように、「過酷な人生、罰ゲーム」だの、「俺のカルマ…」だの、「俺は想像妊娠で生まれた子」、「不幸の星の王子さま」「赤髪の王子はグラノーラをお召し上がり」「赤い髪の王子さまにも、とうとう赤紙が…」など、ボソボソ言い続け、けれど腹を空かせていたので、渋々グラノーラをすくって食べるよりないのだった。 

 

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  不安症のくせして変に都合良く楽観的なことが多い。菊比呂がうまそうに夜のグラノーラを食べていると思い込んで、満足だった。 

  すると機嫌の良さがいつもに増して茜の食欲を増進させた。もっうちょっと食いたい気になった。ザバザバ皿に落として、豆乳をドブン、カリカリせっかちに咀嚼し、同じことを二度、繰り返した。  


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  こういった従妹の衝動性は、例え見知っていても菊比呂にはなかなか慣れ難いものだった。生真面目だが、欲望に非常に忠実、無害の変人。彼は茜をそう定義し、定義しては消沈してため息が出る。  
 


  今、彼の心に浮かぶのはただ、敗れた恋の相手・マイアの笑顔だった。マイアは茜のアルバイト先の英語学校に勤める、向日葵のような笑顔が愛くるしい女性で、確か二十四か五だった。


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  菊比呂の一目惚れから始まり、嫌がる茜をどうにか説得して、大枚はたいて購入した、真っ赤なバラの花束を彼女の前に差し出した、あの瞬間―。あふれんばかりの愛を告白するあの瞬間まで、菊比呂は夢の世界に生きていた。生きとし生けるもの、すべてが美の宿命を持ち、まばゆいばかりに輝ける、夢の世界に。

 

 (…ところが、夢から醒めた俺ときたら、茜のオンボロ平屋で不味いコーヒーと不味いグラノーラなんかを渋々食らって、つまり、不幸の赤星の王子さまは、姫を失くし悲嘆にくれているのだ) 

 

   菊比呂はまたも自己陶酔と、空想夢想に取り掛かっていた。彼は不味いコーヒーを啜り、オエとなった。 

 


(第13話へつづく)

 

「マラカス奏」第11話(全15話)

 

(前回までのあらすじ)
友人マーク夫妻のカフェ・モーブより帰途についた茜と菊比呂。
中央線の運転見合わせをキッカケに、菊比呂は従妹の茜宅に一晩世話になると決めたのだが...

 

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「ここからが、私の敷地」 

 と彼女は得意げである。



  従妹の住まいのオンボロ平屋は、菊比呂にとって衝撃的だった。
  それこそ、朽ちかけた廃屋である。縦横無尽に伸びるツタ、家壁に生える苔、古い引き戸の色は風雨に晒され劣化し、右斜めに傾いている。悲惨な外観だが、内装はまずまず修理が行き渡っていた。彼の心悸は、やっと落ち着きを取り戻したようである。

 ーしかし、耐え難い試練が待っていた。

 この平屋の寒さと言ったらないのである。薄い赤革コートの前身ごろを、胸の前へぎゅっと手繰りよせ、震えた。

  床は氷上さながら、冷えている。やが彼の歯は音を立て笑い出し、それに気付く風でもなく、

「ストーヴ、つけたよ。暖かくなるまで、三十分はかかるから、菊ちゃん、少し待っててよ。熱いコーヒー、今すぐ淹れるからさ」 

など、慣れっこの従妹は呑気である。

 


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 当たり前の様に言うので、彼はカチンと来てしまった。菊比呂にしてみればここは戸外と何ら変わりない寒さで、風邪を引くために呼ばれた気分だった。小さく舌打ちして、彼は南阿佐ヶ谷の自室、熱いシャワーを浴び、羽毛布団を掛け眠る夜を、心底惜しまずにはいられなかった。 

 

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 茜の晩御飯はこの日、グラノーラにバナナを添え、豆乳を注ぎかけただけの、朝食みたいなメニューだった。
 先日の、千疋屋の水菓子が彼女の貧乏暮らしに大打撃を与えて、茜はあれからずっと、節約してもしきれない程、節約すること余儀なくされていた。夜のグラノーラが食卓に上がること数回、全ては千疋屋のせいであるから、もうあんな高級菓子店なんぞ二度と行くもんか、と逆恨みのような反省のようなである。 

 

   彼女の言った通り、三十分経過した頃からようやく部屋には暖が行き届いて、菊比呂はホッと胸を撫で下ろさずにはいられなかった。

 

(第12話へつづく)

「マラカス奏」第10話(全15話)

 

   菊比呂は南阿佐ヶ谷に住んでいた。もろに足止めを食らい、しかしながら彼は明日もモーブのアルバイトである。仕込みがあるため朝早い。

 

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   普段なら、近所のうるさい小母さん手前、この奇抜な恰好の従兄を招いたりはしない茜だが、底冷えの今晩は別である。オンボロ平屋の四畳半を提供すると伝えた。菊比呂の方も、そんなら丁度よかったと言って、北多摩湖線へ乗り込んだ。 

  冬至の暗い夜に、亡き兄を思うとしんどい。太刀打ちかなわない。例え、変人めいた菊比呂の、赤髪赤コート赤ブーツ姿であっても、誰かの気配に茜は充分救われるのだった。 


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   萩ノ坂駅で降車し、駅舎を出た。

  菊比呂は寂れ具合に呆れ果てた様子である。

 「ここは、どこだ?」 

彼はまたもキョロキョロとした。

 「萩ノ坂」 

 「ここは東京なのか、埼玉なのか」

 「東京だよ。私は都民なんだ」 

 「どうしちまったんだよ、この界隈は。死人の街だな」 

  あいにく駅舎周辺には蕎麦屋以外、何も無いのである。その蕎麦屋も休みときて、辺りには風の音しかしなかった。 

  駅からすぐの、多摩湖自転車道に沿って、二人は東へ歩いた。二十分も行くとアジサイ園の看板が見えて来た。低い土階段が敷かれ、茜は慣れた様子で下っていった。不安を隠しきれないまま、菊比呂も、後に続いた。 

 

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 土階段を降りて、人がやっと一人通れる幅の、狭い路地が伸びていた。途中、錆びた門が二つあったかと思うと、その都度、軋ませ押し開けて、三つめの門に達すると、これもギギと開けた。入るよう、彼の従妹は促した。

 

(第11話へつづく)

「マラカス奏」第9話(全15話)

   三十分位して、菊比呂は戻った。

 

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   マフラーを巻かない首は、なおのこと蒼く乾燥して、粉を吹いている。ポケットに両手を突っ込み視線はキョロキョロ、もはや不審者の体である。マイアの件でグダグダ言い始めた。 



 「終わったことでしょ。何もかも、過去だ。死んでしまった過去だ」 
珍しく語気強く茜が言った。菊比呂は一瞬口をつぐみ、すると夜風が、両者の胸間に自然吹き入った。


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 「菊ちゃんだけじゃないよ。みんな、たった一人だよ。お兄ちゃんは、私達が丼ご飯に舌鼓打ってたあの時分、血管ちぎれて、路上倒れたじゃないか。見知らぬ野次馬に囲まれて心臓マッサージを受けたんだ、まるで命が見世物だ。で、逝ったんだ。誰にも何も言えず、苦しいもサヨナラも言えず、急に、一人で逝ったんだ。お兄ちゃんの気持ちにもなってみなよ、菊ちゃんは死んでないから、一人でも一人ぼっちではないよ」

 

  心細かった。 

 「隆兄のことは、確かに、可哀相だったよ。お前は、よく頑張ってるな。悪かったよ」 

反省の色を浮かべて、今度は菊比呂が茜の横顔を盗み見た。 

「だから、パチパチ打って、書いているのか」 

「そう」

 「俺も毎日じゅうじゅう、マークのところで、肉を焼きまくってるぜ」 

  従兄妹は、隆を、過去に置いてきぼりには出来なかった。彼らはパチパチやらじゅうじゅうの方法で、生きた足跡を残し、息吹をつなぎ止めようと試みた。肉料理が大好物の兄・隆志は、従弟の菊比呂が作る生姜焼きを、いつも、うまい、うまいと、喜んで食べ、嬉しそうに笑っていた。 

 

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  人身事故だとかで、中央線は運転を見合わせていた。

 

(第10話へつづく)