書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「マラカス奏」第4話(全15話)

彼女はレーズンパンにジャムを塗り広げる時、幸せだった。心が、サアッと染まる。緑茶を飲めば、あのアブサンはどんなだったろうと思いを馳せ、珈琲と珈琲色のセーターに希望を持った。祖母の形見は珊瑚の首飾り、パプリカなんかも素敵で、そういえば商店街…

「マラカス奏」第3話(全15話)

(前回までのあらすじ) 歳暮の用事で三越まで赴いた茜だが、慣れない人混みと、千疋屋での散財で疲弊する。帰る先は「萩の坂」のオンボロ平家、彼女はここでの暮らしにようやく慣れたようである。 風呂場の雨漏りだけ、手の打ちようが無かった。寒さ暑さは凌…

「マラカス奏」第2話(全15話)

杏北寺から乗り継いで揺られること十分、萩ノ坂という、今時珍しい、便所に洋式が無い駅の、アジサイ園近くに茜の住まいはあった。 空腹に耐えかね、杏北寺で晩飯を、と思ったが、覗いた財布には千円札すら姿無かった。 千疋屋で散財したのだから、さらに堪…

「マラカス奏」第1話(全15話)

マラカス奏 歳暮を贈った。晴れた日曜だった。 焚きつけるように日本橋三越まで出向き、用事を終えると、彼女は久しく気楽になった。住まいをタダで譲り受けたとあって、その山形の某市に住まう、遠い親戚のS夫婦には、奮発して千疋屋の水菓子か、とらやの…

更新時間も冬バージョンになるです

おはようございます🌞 すでに風邪っぴきの小生、今後つづく寒さにどう対処すれば良いのやら、、、 さて、お知らせです。 ◉冬生活に向けてブログ更新時刻を、「夜8時」に変更してみたりします!今日からです。 ◉新小説連載、始めます!今日から。夜8時によろ…

「あなたは最高」最終話(全22話)

キムは手を震わせ、応答しないまま、ただ画面に浮かび表示されるその名前を見つめてた。呼び出し音は続いた。 桔梗はキムを見た。キムも桔梗を見た。悲しそうに笑って、涙目を浮かべた。キムは、応答しようとして、耳にあてがう代わりに、もう片方の手で震え…

「あなたは最高」第21話(全22話)

引き摺られるままに歩んだ桔梗だったが、圧倒的な丘の濃緑に、感じ入った。2人は不安だった。 桔梗はキムが自分と同じように不安であることを、感じ取っていた。ー苦手だったあのキムはどこにもいなかった。ここに歩くキムは、友達だった。 舌打ちして、苛々…

「あなたは最高」第20話(全22話)

「行くわよ、キキ」 モールの外扉を出るなり、キムが腕を引いて言った。裏手の丘を指している。 「今から?」 「そうよ」 キムはいつになく真剣だった。けれど厄介なことに、桔梗の身体は、神経疲労のために細かく震え始めていた。 ここで無理すれば、数日を…

「あなたは最高」第19話(全20話)

キムと桔梗を交互に見遣った。 「…繰り返すけれどね、ここには誰も来やしない。もう丸5年、こうしてカウンターに座って、外を見つめているけれど、誰1人来ないのさ。あたしゃね、ただ、話し相手が欲しかったというわけさ。ひたすら見続けていたんだ。残され…

「あなたは最高」第18話(全20話)

粗末な義眼だった。ピンポン球にマジックペンで黒目を描いただけのような簡易式、おまけ手垢で黄色く汚れている。 「薄気味悪いでしょうか。まあ、いい。誰だって、最初はそういう表情を見せるものですな。客はあたしを怖がってるんだ」 何と言えばいいのか…

「あなたは最高」第17話(全20話)

どうも湿気っている。店舗は仄暗く、客の姿はなかった。 挨拶に出た書店主は70過ぎ、痩身の老店主で、同じ暗褐色の、殆どサングラスのような眼鏡を掛け、杖をついていた。 彼は丁重とは呼べぬ仕草で本をカウンターに置いた。すぐ椅子にドサッと腰掛けた彼は…

「あなたは最高」第16話(全20話)

ーなんて下手くそなんだ。話すのが怖い、人間の下手くそだ。 不安の問題を口にしたものだから、それはつまり鬱屈神経団を呼び寄せる呪文だった。桔梗の手指、強いては身体全部を、このように硬くゴワゴワ苦しめるのは、いつだって彼らなのだ。彼らは何かと付…

「あなたは最高」第15話(全20話)

桔梗は珍しく語気を強めた。 「鬱屈神経団を追い払うには、それしかないんだ。目一杯楽しんでいないと、ふとした瞬間にあいつらがやって来るんだ。心の隙間へスッと入り込んで、真っ黒けに汚すんだ。だからご機嫌を衒うんだ。呑気を衒って、人生を衒っている…

「あなたは最高」第14話(全20話)

ーでも、いささか事情が違ったわ」キムは煙を吐いた。 「私はただ逃げ出すためだったけど、彼は違った。ちゃんと目的があって、ちゃんと未来を築こうとしていた。キチンと目的があっての訪日だったのよ。つまりね、あたしとはもうその時点で既にバラバラだっ…

「あなたは最高」第13話(全20話)

キムは煙草を灰皿に押し付け、ぐしゃぐしゃ揉み消した。 「ああ、うるさいったらありゃしない。もう磨り減りそうって時に」 桔梗は黙って次の言葉を待った。 「知ってるんでしょう?きっとアリーから聞いてるはずよ。ーあたし、ここのところ彼とうまくいって…

「あなたは最高」第12話(全20話)

店内は独特の臭気を漂わせていた。 ハーマンのオフィス、柑橘類とコーヒーの香りを、桔梗は懐かしく思う。2人並んでプラプラ見て廻るが、何ら興味惹かれるものは無い。2階へも上がってみたが、売り物の全てが建物と呼応し、えらく昔風で、キムはもう飽き飽…

「あなたは最高」第11話(全20話)

タラコ色の電車は、急に速度を増して走り始めていた。トットコ走ること30分、S市駅に到着した。 駅で降りる乗客は殆ど無かった。 平日の昼である。閑散としきって、腰の曲がった老人が歩調ゆっくり去って行くともう、人影の一切が消えた。 キムと桔梗だけが…

ブログ更新時間変更について・其の2

深夜ですが突如お知らせです。 明日より、ブログ更新時刻が朝6時から、朝8時に変わりますヨ! まだまだ書き連ねますんで、まだまだしつこく読み進めてね!

「あなたは最高」第10話(全20話)

キムへの共感は、桔梗の律儀のお人好し精神に火を灯す格好の燃料となった。 敏感な神経症の胸は熱くなる。唯一彼女が積極性を発揮する機会でもある。お節介を使命感と勘違いし、さあ頑張ろう、人肌脱ごうかなどと思い始めてしまった。 藤枝の茶封筒のとき同…

「あなたは最高」第9話(全20話)

自らのぶ厚い皮下脂肪が災いし、人並み以上にこの暑さが堪えるらしい。しばらくはただ、暑い暑いと繰り返した。 ぼやき続け、愚痴り続ける。彼女は親友・アリーのことさえ、悪く言った。 その都度同意を求められても、困った。桔梗は段々面倒になってきたが…

「あなたは最高」第8話(全20話)

(前回までのあらすじ) 店主ハーマンの指示を受け、S市まで出向くことになったキムと桔梗。2人は互い、苦手意識を持つ同士である。桔梗は辟易し、すでに疲労感に参っていた。.... ガタゴト揺らされ、しかし二人に交わされる言葉は無い。居心地の悪さだけが、…

「あなたは最高」第7話(全20話)

「なんだ。案外、シンプルじゃない。もっとややこしい場所かと思ったわ」 乗車して座席に腰掛けると、キムはぐっと伸びをした。大柄な体躯がさらに肥えて見える。上背もあるから、伸びをするだけで迫力に満ちている。 おずおず隣に座した桔梗は、相手の顔色…

「あなたは最高」第6話(全20話)

「少し多めに渡そう。あいにく今月は残業代がつけられないんだ。その代わり、余った分で美味しいものでも食べておいで」 と幸せ顔で頷いてみせる。用件を伝え終えた彼は、くるり椅子を回転させ、もう背を向けてしまうのだった。 一切合切の無言であった。2人…

「あなたは最高」第5話(全20話)

情事は留守の間に起きていた。 さなかにキムは帰宅してしまった。傷心の彼女は、先週末からアリーの部屋に寝泊まりをしている。 彼女の怒りはピアノ線の緊張感を店にもたらした。藤枝の一件は火に油を注いでしまった訳で、もう怒り玉といった具合である。 桔…

「あなたは最高」第4話(全20話)

眠い頭で、ボヤボヤ書棚を整理した。 ガラガラだ。夕方過ぎるまで、来店者数はまず伸びまい。予報では猛暑日、10分の外出ですら辟易としてしまう強烈な太陽光が、舗道を叩きつけているのだ。 品出しも検品も終えてしまった桔梗は、だいぶ手持ち無沙汰だ。…

「あなたは最高」第3話(全20話)

「設定温度はいつも26℃、風量は暑い日でも微風。わかっているね?」 「ごめんなさい、ハーマン」 「気をつけて」 「オーケー」 「じゃあ、キキ。このあと君はどうすればいいのかな?」 桔梗はカウンター横、ブタの貯金箱を指差す。ハーマンは頷き、微笑んだ。 …

「あなたは最高」第2話(全20話)

8月22日。 3日連続の猛暑日であった。もう街のどこへ行こうとも容赦なく真夏のカンカン照りが追いかけてくる始末で、サングラスと中折帽は太刀打ち叶わず、アイスコーヒーとココナッツ号のミントグリーンですら、降り注ぐあの太陽の熱視線を捻じ曲げるの…

「あなたは最高」第1話( 全20話)

柑橘類と、挽きたてコーヒーの香。二つは互い手を取り合うようにして小部屋の空間をゆったりと充たしていった。次第次第、鼻腔へと入り来む。気管支を通過し、やがて肺をレモンイエローでいっぱいにした。桔梗はにんまり目を閉じた。深深と息を吸った。 ジャ…