書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「マラカス奏」第4話(全15話)

  彼女はレーズンパンにジャムを塗り広げる時、幸せだった。心が、サアッと染まる。緑茶を飲めば、あのアブサンはどんなだったろうと思いを馳せ、珈琲と珈琲色のセーターに希望を持った。祖母の形見は珊瑚の首飾り、パプリカなんかも素敵で、そういえば商店街の魚屋の前掛けは鈍い燕尾色、店頭に並ぶあの活きのいい鯖の、青光りする鱗などは大変素晴らしかった。

 

f:id:sowhatnobby164:20180930201702j:image


 
  茜は、BB弾がギッシリと詰まった、むっちゃん少年からのジャム瓶を、何とは無しに見つめた。未だ大切に保管し、それらは台所の小窓に四つ、整列している。寂しくなると、瓶を振ってみたりする。

 

f:id:sowhatnobby164:20180930200143j:image

 

  午前七時、駅では急行電車のベルが鳴り渡り、勤め人達は駅の階段を隊列組んで上がり下がりで忙しかった。

  大学生の一団が、先ほどからベンチに腰掛け喋っている。彼らは一様にコカ・コーラの缶を握り締めている。

   列車が到着する。オレンジ色の車体が、音を軋ませ停車したかと思うと、すぐ直後には発車ベルが喚き立てた。化粧の濃い、色白の太っちょが一号車に駆け込んだが、バッグが扉に挟まった。力ずくで引っ張る。すると鞄は納まった。不機嫌顔の老人衆が、蔑むような目で女を見たが、女は気に留めない。電車は、音立て動きだす。ホームを滑り出し、勇猛に駆け去っていく。


f:id:sowhatnobby164:20180930201716j:image


  大学生たちが帰っていく。潰れたコーラの缶が、ベンチの上ごちゃごちゃ乗っかり合い、不細工なピラミッドを築き上げたかと思うと、冬の優しい朝日を浴びて、幸福のシンボルとなった。静か照っていた。

 


  パンを一口齧ると、茜は読みかけのアメリカ小説に目を落とした。

  売店で買ったコーヒーはとうに冷め切って、酸っぱくなっていた。口中ふやけたパンが変な味になっしまったので、一息に残りを飲み干した。膝に落ちた食べくずを払うと、ベンチを立った。

 
f:id:sowhatnobby164:20180930201737j:image

 

  小説家を志してる。切り売りの文を、この頃は方々の出版社に送りつけていた。

 

(第5話へつづく)