「廻田の雨降り」第3話
....いやしかし、何とも見事に晴れわたったものだ。
桔梗は独語し、眼鏡をごしごし拭いてやった。朗々と輝く空を仰いだ。不穏なイメージの支配下で迎える朝ですら、新しい朝、新しい思考が廻る1日は幸福にもピカンと始まるわけで、そのことに勇気づけられた桔梗は、日めくりカレンダーを1枚、勢いよくビリリとしてやった。
こうして桔梗の5月7日水曜日が産声を上げた。環状七号線がゴウゴウぶうんの交響曲を奏で、隣の老人宅のラジオ放送はゲラゲラ大笑いしながら、今朝の生誕を、どうやらあちこちが祝福しているらしかった。
桔梗は英語の流暢さを買われて、円南町にある洋書店で働いていた。Yumejiと名打たれたこの書店には、街のあちこちから古書類がぞくぞくと集まり、輸入書籍と共に階段の踊り場にまで溢れ出てしまっていた。積み上げられたそれら本の山はちょっとした圧巻であり、これが円南町方面の読書好きにはたまらないのである。よってBooks Yumejiこと「夢二」には、顔なじみのお客も多い。
「夢二」店主はカナダ人、五十路をわずか越えた色男である。名をハーマンと言う。彼此もう10年以上東京で暮らしているのだが、日本語は拙いままで、大体が東京都下では英語がある程度通じてしまうのだから、もういまさら覚える気など起こらないようだった。
ハーマンがギックリ腰に見舞われたのはつい二三日前の出来事であり、桔梗の朧な今朝を引き起こした出来事でもある。夢二は彼の道楽稼業であり、道楽主が不在の夢二はもはや夢二ではなく、当然の如くBooks Yumejiは臨時休業となった。そのおかげで桔梗、キム、アリー、藤枝、4人の店員達は、大学生の藤枝を除き、週明けの幾日かを何やら手持ち無沙汰な気分で過ごす羽目になってしまった。桔梗はこの手持ち無沙汰をスッカリ持て余し、持病の抑うつ神経症に悪影響を及ぼしている。
明日中に夢二は再開するのだ。
この三日を、桔梗はあたかも百年の待ち人があるかのように過ごした。
残るは今日のみじゃあないか。今日の手持ち無沙汰さえ乗り切れば、この状況とはおさらばというわけだ。さて、今日は何をしよう。
そこでどう過ごそうものか思案した。