書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「廻田の雨降り」第1話

  目覚めの朧さが、事のすべて暗示のようで、もう桔梗は布団の外が怖いのだった。外側では色々が既に始まっていた。カーテンの向こうには晴れの朝がつるりと鮮度よく用意され、少し離れた環状七号線からはトラックだのバイクだの、ゴウゴウぶうんの轟きが鮮やかな空の高みを脅かしている。隣の老人宅では窓が大きく開け放たれ、そのせいで今朝も容赦ない大音量のラジオ放送が街じゅうへとなだれ込み、やはり今朝も容赦なく近隣住民を苛立たせていた。

 

 これらの様子に、毎朝桔梗は怯えきった。神経が良くならないものだから、この街の無遠慮で目覚ましい朝の到来がたまらなく障る。圧倒的なエネルギーを孕み活動し続ける外の出来事に、果たして朧な目の自分は付いて行けたものか、皆目見当がつかない。こんな調子で一日を耐え得る保証は何処にもなく、自尊心の欠片はいずこやら。桔梗は布団の内側にとどまり、もうさっさと夜が来てくれまいか、などと願い始めるのだった。

 

  とは言え、どう御託を並べても体は体で正直だ。朝寝を決め込もうにも、トイレか、喉が渇くか、腹が減るかして結局は布団を出る。そういうものなのだ。

 

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  それは質素な造りの、極めてスペースの限られた台所だった。限られた空間に、鍋やら薬缶、食器類にサボテン、ニンニクなどが、あるものは平らに重なり、あるものはぶらぶら壁に吊るされ配置されていた。冷蔵庫のドアには短いメモ書きがベタベタ乱雑に貼られており、例えば20**年のクリスマスの買い物のリストなどがある。

 

  この5年前の覚書きの角にはコーヒーをこぼしたような染みが残っていて、桔梗はこの薄茶色の染みを、時折妙に感じ入って眺めたり、爪でこすったり、匂いを嗅いでみたりすることもあった。

  

                                            (つづく)