書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「色眼鏡」第1話(全12話)

「何て子だろうね、アンタは!」

  台所の小窓から、大家の怒鳴り声が不意に飛び込んで来た。

 

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  それは停滞しきった正午の近隣に、似つかわしく無かった。子供を叱り付けている。猛禽類の金切声が、土曜日を引きちぎるようだ。桔梗は両耳を塞ぎたいくらいだった。

 

 「手をお出しよ、あたしゃ奇天烈の次に嘘つきが大の大キライなんだ。そんなに言い張るんなら、アンタ左手を開いて、見せてごらんよ。あたしゃねえ、とっくのとうに承知だよ、アンタは盗みを働いたのさ。親が成ってないとこうも酷いモンかねえ!」

 

   ーまた始まった。

   桔梗は赤いマグカップにコーヒーを手に持ったまま六畳間に移ると、わずかカーテンを開き、隙間から婆さんと子供の言い争う姿をコッソリ覗き見した。

 

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  子供はと言うと、サッチャンであった。サッチャン、と言う呼び名だけが桔梗の知るところで、元が幸子なのか、小百合なのか、紗耶香なのか、若しくは今風の、少し洒落た外国風なのか。兎も角サッチャンは階下の101号室に住む家族の子である。

   母娘二人の暮らしだが、時折母親に男が出来て、泊まったり出て行ったりする。それが亭主なのかもしれないが、婆さんから見るとえらくフシダラに映るようだ。

 

   その為、母親に対しては、何かとキツい物言いで、アレヤコレヤ文句をつける。   

   すると相手は気弱らしく、その都度、すみません、すみません、以後気をつけます、と繰り返し詫びて、青ざめた首のまま、しんと101号室に消えてゆく。

 

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  サッチャンは、婆さんの家のグミの木から、また実をもぎ取り食ったらしい。      

 

   少女は学校を終えアパートに着くと、日常的にグミの実をもいで口にしていた。桔梗はそのランドセル姿を何度も目撃している。日頃から腹を減らしているようで、幼さ故に、手近な食の誘惑には到底我慢かなわぬのだ。

 

   気の強いところがあって、時々生意気な口を利く。それが尚更婆さんを苛立たせる。一向に強情を張り続けるので、業を煮やした婆は、手にしていた新聞紙で少女の頭をビシャリとやった。すると子供は子供で心得があり、

   「ぶった!おばあさん、あたしをぶった!大人がぼうりょくした!痛い痛い、痛いよう!」

と近所中に聞こえるよう、わざわざ大きな声で騒立て応戦する。

 

 

(第2話へつづく)