「色眼鏡」第4話(全12話)
桔梗の精神状態は、お世辞にも芳しくなかった。
悲観論の追究が、このところの日々の日課であった。雨の外には出たくもなく、夢二の仕事では懸命の努力、明るく振る舞う為、もうどっちがどっちなのかも分からなくなり、職場ですらいささか混乱していたのだった。抗不安薬だけが救いの、病み切ったつゆのひと月が過ぎて行った。折れるちょっと手前で、しがみついている。
ところが、今はというと走るバスに乗っていた。
自問自答の悲観論者達の包囲網から、わずか逃れたようにも思える。六畳間と夢二の往復生活を離れ、ここには、キッチンの安っぽい蛍光灯も、赤いマグカップも、植木鉢やら冷蔵庫、図書館で借りる本の数々の背表紙もなく、また、隠遁生活中の無関心時には決して認めることの無かった、目新しい色彩が、クレヨンの落書きのように塗ったくられていた。
ーああ、色彩、そうだ。窓の外の色彩、ある人の顔には浮かびある人には無い色彩、組み合わせの色彩、そばかす、オレンジとグリーンのチェック模様、カバンが大小、笑う女の車内広告、ブレーキとアクセルの高さの相違、空の色はブルー、コンバースはブルー、インクペンがブルー、色という色が、太陽と一緒に強く肌に爪を立てくい込んで来る。
感動した。急にこの感銘を誰かと共有したくなった。けれど周囲の人に話しかける勇気もなく、こっそりと隣の中年女性の表情を盗み見た。するとこの人もまた、夏の前兆に軽い眩暈を起こして、車内の冷房風に、うっすら目を伏せてい
る。
廻田町も、バスではほんの10分の距離である。午後の太陽はあまりにドギツい。
ーなかなか良いものだと、実際は思っているじゃないか。
鬱の泥で毎日を汚し続けるのは、もうやめようと思い始めた。いい加減、疲れ果て、飽きてもいるのだ。そこで桔梗は、今日を1つの区切りにしようと考えた。
おかしな神経を脊柱から引っぱり出し、黒焦げの塊も胸から取り出すのだ。
自分はそれごと、臨終を迎えるつゆの季節に廃棄し、素知らぬ顔しておさらばしてやるのだ…
陽射しへ睨み目を光らす、銀盤のステップを降りた。廻田町体育館前、ここが蚤の市の公園へは最寄りの停車場である。再び暑さの中へと泳ぎ入った。
(第5話へつづく)