書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「伝書鳩よ、夜へ」第17話(全19話)

  もう、嫌になった桔梗だから、ますます布団をひっ被ってグーグー眠りたかった。明日が投げかけて来る、無遠慮な視線が怖いから、気付かぬ振りして眠りたい。

 

f:id:sowhatnobby164:20180817091339j:image

 

   藤枝はきっと、アリーと、二十も離れた恋人である例の医者、彼らが紡ぐ愛の現場を偶然どこかで目撃したのに相違なかった。何とも気の毒な話だ。あんな調子では当分立ち直れまいし、もしかすると夢二を辞めてしまう可能性も、否めないのだった。油汗の恋は、油汗の宿命により、最後は藤枝を冷んやりさせて終息したと言うわけだ。


   オンボロアパートに着いた時、一階の大家宅には灯りがまだついていた。春子婆さんは朝が早いくせに、その一方、概して夜型である。部屋は煌々と照り、テレビのガヤガヤが、わずかな窓の隙間から漏れ聞こえていた。何の番組なのか、猿山のようにけたたましい笑い声が、どうやら婆さんの部屋に響き渡っている。

 

f:id:sowhatnobby164:20180817091053j:image

 

   バカ笑いのテレビに嫌悪を感じつつも、お陰で遅い帰宅が婆さんに気づかれることも無さそうなので、タイミングに恵まれた事を桔梗は喜んだ。スーッと横切り、スーッと階段を上がった。

   自宅ドア前に立った時、丸1日続く、このめくるめく出来事の連鎖からようやく解放される事を知って、桔梗は深く、長いため息をついたのだった。

 

   さて、鍵はどこだったか。

 

   バックパックの中をゴソゴソ手探った。鍵、鍵、鍵…そう小さく呟いて探すうち、桔梗の右手は、鍵ではなく、いつもの所持品外と思われる物体を探り当てたのだった。小首を傾げ、その触り慣れぬ何かを、ゴチャゴチャの荷物の混乱からむんずと引っ張り出すと、それはどうやら封筒のようであった。

 

   3センチ程も厚みのある、やけにずっしり重い、そのくせ全く平々凡々の茶封筒、単純明快の茶封筒…

  

 しまった!忘れていた!

 

f:id:sowhatnobby164:20180817091123j:image

 

  危うく大声をあげそうになって、慌てて言葉を呑み込んだ。手にしていたのは藤枝の恋文、スッカリ存在を忘れ去られた茶封筒だった。不機嫌顔で桔梗の手の平に乗っかるそれは、未だ届けられぬことを恨んだ様子で、じっとこちらを見ているのだ。

 

(第18話へつづく)