書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

宇宙の理(全6話)

第五話

 

 

 

 

 翌々日になって、オーディションの通知が小夜子のもとへ届いた。書類選考を通過し、三日後の九月七日、西新宿の会場まで来るよう達示が来たのだった。

 

 成部は薄い反応しか見せなかった。

 「へーえ」

 先日の臭気の件があって以来、機嫌が悪い。大体、成部は潔癖なところがある。ワイシャツをしつこく何度と洗うし、四六時中ファブリーズでしゅっしゅ、しゅっしゅと忙しい。

 けれど、この日の成部は寛容だった。

 「アンタがうまくいったら、アタシ達、少しは希望があるかしら」

 菊比呂を呼ぶ。財布から千円札を取り出すと、

 「菊、これ。今晩ケーキ買って来て」

 小夜子は呆気にとられている。菊比呂も同様だ。成部はフン、と鼻を鳴らすと、

 「何よ。どうせケチだとか思ってるんでしょう」

菊比呂の手に紙幣を握らせた。

 

 「小夜子、これは出世払いよ。チャンスって奴は、アンタみたいな子にも、平等にやって来るのね。案外と、知らなかったわ」

 成部は鏡で襟と袖に汚れが無いことを入念に確認した。

 

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 「さ、アタシは今日も社畜三昧。アンタ達も、家賃くらい払うのよ」

 言い残して、彼は出勤して行った。

 

 

 その晩、食卓は賑わった。そうめん、豆腐、サバ缶桃缶、氷砂糖。卵、ガリガリくんアイスバー、そして、最たるは、ケーキである。

 こんな気分華やぐのは久し振りだった。三人で囲む狭いコタツ机に、それぞれの夢が乗っかった。三人は饒舌に語った、ケーキは食べ尽くされ、生温い水道水が幾度と喉を流れた。

 

 ―夏が終わる。壊れたままの網戸向こう、秋が囁き合っている。語り尽くそうと思えば、夢なんていくらでも語り尽くせた。けれど正夢だけは、彼らに語ることの出来ぬ、夢だった。

 

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 小夜子は薄く目を開ける。すると辺りは黙って動かない。

 アラーム時計は午前四時を指している。秒針音が、薄闇を等分に刻んでいた。予定よりずっと早い。

 本来の起床時刻まで、寝直せば良いだけのことだった。だが、この昏い目覚めはそれを小夜子に許さなかった。試みるごと、ますます覚醒してしまう。

 

                             最終話へつづく