書生のびのお店番日誌

書生のびによる、人生行路観察記

「マラカス奏」第13話(全15話)

  茜が、おかわりを注ごうとしていた。 

「いらない。もう、本当にいらない」 

彼は慌てて従妹を制した。茜には意外だったらしい。 


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「菊ちゃん、遠慮はいらないよ。寒いんでしょう」 

「ちっとも寒くなんかない、いらない。絶対にいらない」 

菊比呂はカップを手で塞ぎ、断固阻止した。そして、また、マイアを思った。失恋者の彼は、急激な悲しみに打たれ、気づけば涙目涙声、従妹に向かってつぶやくのだった。 

「…お前の神経は不安のアレで駄目なんだろうけど、ひとつ教えてくれよ。俺は、俺は、一体どうやったら幸せになれるんだ。マイアさんが愛の告白にそっぽを向いた瞬間、バラの花も俺の自尊心も幸福も、ぜんぶ散りつくしてしまったじゃないか。俺はね、もう本当に、再起不能なんだ。神経病みの茜に、こんなこと聞くのは、とんだお門違いって、そりゃあ分かってるよ。だけどこんな不安を、憂鬱を、どうしたらいいんだ。俺の心は今晩と同じ、真っ暗な冬至だよ。つらいよ、俺はきっと病気になるだろうよ」そこまで言うと、菊比呂はむせび泣いた。 


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(―情けない、情けない。俺は王子のはずだろう?王子が従妹の前なんかで泣くのかよ。王子失格、人間失格。生まれて来て、スミマセン。ああ姫は、俺の愛を捨てたんだ。俺はハナッから見捨てられていたというわけだ…) 

 べそべそ泣いて、そんな菊比呂を見守るのは、自分の好き勝手にしたい茜にとって大変面倒なことであった。が、確かに彼の敗れ方は派手派手しかった。真っ赤なバラの花束を、キザな文言で捧げる菊比呂を、マイアはこともあろうに、誰と知らなかったのである。こう振り返ってみると、それなりに胸は締め付けられ、痛んだ。 

 
  同情するよりなかった。菊比呂の食べ残した、ブヨブヨにふやけたグラノーラと、呑み残しのコーヒーカップをソロソロと静かに下げて、思案顔、ただただ洗って、食器棚に片付けた。 

 

 

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ドン、という音、キッチンテーブルに何かが置かれたようだった。うつ伏せにしていた菊比呂は、涙に濡れた顔をのろのろと上げた。

 

(第14話へつづく)